視界のもどかしさを「楽しみ」に変える。大人になっても諦めたくないあなたへ
Metaの新デバイス「Muse」がWiredで取り上げられ、大きな話題となっています。見た目はLabubuのような愛らしいキッズトイであり、たまごっちのようなAIデバイスとしても展開予定。それなのに、対象は「大人だけ」。この「おもちゃの見た目 × 大人の本気ツール」という不思議なパラドックスに、私は言いようのない心地よさを感じました。
なぜなら、私自身が長年、「弱視(lazy eye)」という身体的なもどかしさを抱えて生きてきたからです。
三十代の半ば、ある秋の夜のことでした。仕事から帰ったアパートの狭いリビングで、私はまたしてもMeta Questのヘッドセットを前にためらっていました。クローゼットの奥に押し込んでいた段ボール箱から引っ張り出したのは、三年前に「今度こそ」と買った視覚訓練用のソフトウェア。一度だけ起動して、そのまま埃を被らせてしまった代物です。
部屋には薄暗いスタンドライトだけ。窓の外では雨がシトシトと音を立てています。コーヒーの冷めたカップがテーブルの上で輪染みを作っていました。私はヘッドセットを手に取り、ストラップのゴムが伸びきっているのに気づきました。あの頃のやる気も、こんな風に伸びきって切れてしまったのかな。
子供の頃の記憶がフラッシュバックします。小学校低学年、眼科の診察室で「両目で見てごらん」と言われても、どうしても右目だけで世界を見てしまう自分。遮眼子(アイパッチ)を貼って過ごした夏休みの暑さ。プールにも入れず、友達と鬼ごっこもできず、ただベンチで絵本を読んで過ごした日々。母が「治るから、頑張ろうね」と何度も言った声。でも、大人になった今、その「治る」という約束は、どこかで裏切られた気がしていました。
社会人になってからも、視覚協調のリハビリは続いていました。眼科でのトレーニングルーム。無機質な蛍光灯の下、白い壁に貼られた図形を追う単調な作業。左右の目で別々の画像を見て、脳で融合させる「ステレオグラム」のカード。立体視ができた瞬間の小さな喜びと、すぐに戻ってしまう平坦な世界への落胆。通院のたびに半休を取り、満員電車に揺られ、診察券を出すたびに「またか」と思われている気がして肩が凝りました。
三十代になって、仕事が忙しくなると通院は途絶えました。「いつかまた」と思いながら、気づけば五年。右目の視力は変わらず、立体視もままならない。映画館で3Dメガネをかけても、飛び出してくるはずの映像がただ二重に見えるだけ。友人が「すごーい」と歓声を上げる横で、私はただメガネを外して目を細めるしかありませんでした。
そんな折、X(旧Twitter)のタイムラインで流れてきたのが、Metaの「Muse」の記事でした。愛らしいフォルムのデバイスを大人が真剣に使う写真。キャプションには「遊び心を忘れない大人のためのツール」とありました。何かが胸をチクリと突きました。おもちゃみたいな見た目で、中身は本気。それが許されるなら、私ももう一度、あのヘッドセットを被ってみてもいいのではないか。
その夜、検索バーに「Amblyotube」と打ち込みました。Seven Sportsという聞き慣れない開発元。Meta Questストアのページを開くと、「YouTube風コンテンツで弱視・視覚協調トレーニング」という説明。dichoptic presentation(両眼別提示)という聞き慣れない専門用語の横に、やさしい言葉で「左右の目に別々の映像を見せることで、脳が自然と両眼視を学習します」と書かれていました。
「ただ動画を見るだけ」というフレーズに、私は引っかかりました。訓練じゃない。動画を見るだけ。その言葉の軽やかさが、重くなった腰を浮かせました。
インストールには十分もかかりませんでした。ヘッドセットを装着し、ストラップをきつく締め直す。レンズの位置を調整し、ピントが合うまで前後にスライドさせる。あの頃の訓練ルームの緊張感はありません。自分の部屋、自分のペース、自分の選んだコンテンツ。
最初に選んだのは、料理動画のチャンネルでした。包丁のトントンという音、玉ねぎが飴色になっていく様子、フライパンでバターが溶ける泡立ち。左目には全体の映像が、右目には一部のディテールが強調された映像が流れています。最初は違和感がありました。右目だけが見ている世界が、左目とズレているような感覚。でも、動画が面白いから、つい見入ってしまう。気づけば二十分が経っていました。
ヘッドセットを外した瞬間、部屋の景色がいつもと違って見えたのです。テーブルの上のコーヒーカップが、平面的な絵ではなく、奥行きを持って浮かび上がっている。雨粒が窓ガラスを伝う軌跡が、手前と奥で違う速度で流れている。久しぶりの、両眼で見る世界の立体感。心臓が早鐘を打ちました。これか。これが、私が忘れかけていた感覚だったのか。
それからの日々は、静かな変化の積み重ねでした。
通勤電車の中で、吊り革の高さが手に取るようにわかる。エスカレーターの段差が、足元で飛び出してくるように見える。同僚とランチに行ったとき、向かい側の顔の輪郭が、鼻筋の影まで立体的に捉えられる。映画館で3Dメガネをかけたとき、初めて「飛び出す」映像に驚き、隣の席の友人の腕を無意識に掴んでしまった夜。
もちろん、順調な日ばかりではありませんでした。忙しくて三日続けてできなかった週。ヘッドセットを被る気力が湧かず、クローゼットの前で立ち尽くした夜。右目の視界が霞んで、また元に戻ってしまうのではないかという恐怖。そんな夜は、無理をせずベッドに入りました。でも、翌朝にはまた「あの動画の続きが見たい」と思える自分がいました。義務じゃない。楽しみだから続く。その単純な事実が、私の中で何かを書き換えていきました。
ある休日の午後、公園のベンチでコーヒーを飲みながら、遠くの木々の重なりを眺めていました。手前の桜の枝、その奥の松、さらに向こうのビルのガラス面。それぞれが明確な奥行きを持って層になっている。風が吹いて葉が揺れるたび、その動きが空間の中で踊っているように見えます。涙が滲みそうになりました。視界が変わると、世界の見え方まで変わる。そんなことを、三十代半ばになって知りました。
Museの記事にあった「おもちゃの見た目 × 大人の本気ツール」という言葉。今なら、その意味が骨身に染みてわかります。Amblyotubeという、ゲーム機にしか見えないヘッドセットの中で、YouTubeのように楽しい動画を見ているだけで、私の脳と目は確実に変わっていきました。厳しい訓練も、辛い遮眼も、通院の負担もなしに。ただ「楽しみ」を選び続けただけで。
もし、あなたも同じような悩みを持っていて、でも「厳しい訓練」に疲れてしまったのなら。どうか、この「遊び心ある本気のケア」を試してみてください。最初は半信半疑で、ヘッドセットを被るところから始めていいと思います。ただ好きな動画を流して、コーヒーでも飲みながら、リラックスして見ていればいい。
視界が変われば、世界の見え方も、きっと少しだけ変わるはずです。あなたのその目で、立体的な世界をもう一度取り戻す旅が、ここから始まります。
詳細・体験はこちらから:
https://www.meta.com/en-gb/experiences/amblyotube/25906906972338493/
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