私はブラウザを複数使い、そのそれぞれのなかでプロファイルも複数使い分けている。Safari は仕事用と個人用。Chrome には、ほかのすべてから切り離した開発用のプロファイル。そうやって、一日のなかの文脈どうしがにじみ合わないようにしている。
厄介なのは、リンクをクリックした瞬間、OS がそんなことを一切気にしなくなることだ。たまたま既定になっているブラウザに URL を渡して、そのまま立ち去る。
そこで Burly を作った。その判断を自分の手に取り戻す、ごく小さな macOS アプリだ。
私はキャリアのほとんどをソフトウェア作りに費やしてきたが、心に残る仕事はほとんどいつも、我慢し続けるのを拒んだ個人的ないら立ちから始まっている。
Burly はまさにそれだ。
市場分析からもロードマップからも生まれていない。Slack で仕事のリンクをクリックしたら、間違ったアカウントでログインした個人用のブラウザで、間違ったタブの隣に開いてしまう。その小さな、毎日の摩擦から生まれた。
いら立ちは小さく、そして絶え間なかった
この問題の一件一件は、たいしたことではない。リンクが違う場所で開く。気づく。タブをドラッグして移すか、URL をコピーして正しいウィンドウに貼る。
十秒ほどだろうか。
だが一日に何十回もやる。そして代価は本当は十秒ではない。中断だ。何かを読んでいたのに、いまはタブの物流をやっている。あれほど手をかけて分けておいた文脈が、結局は互いに崩れ落ちる。
この摩擦が無視できるほど小さく感じられる日を待っていた。そんな日は来なかった。ただ静かに、私がクリックするすべてのリンクに税をかけ続けた。
欲しかった道具は、あと一歩のところで存在しなかった
ルールを設定させてくれるアプリはある。このドメインから来たものはあのブラウザへ、というふうに。その方式を試したが、私の実際の働き方には一度も合わなかった。
私の振り分けは、実のところドメインの話ではない。同じリンクでも、いま何をしているかによって、ある瞬間には仕事のプロファイルに属し、別の瞬間には個人のプロファイルに属する。ルールエンジンは、それを前もって予測することを私に強い、そして人生が変わっていくあいだじゅう、そのルールを維持することを強いる。
私が欲しかったのは、もっと単純で正直なものだった。リンクが届いたその瞬間に、どこへ行くべきかを私に尋ねてくれ。そして答えるのを一瞬で済ませてくれ。
Burly がやっているのは、それだ。
どう動くのか
Burly は、あなたがクリックしたリンクのシステム側のハンドラになる。リンクを開くと素早い放射状のピッカーが現れ、キーボードで行き先を選ぶ。Safari 仕事、Chrome Dev、あなたが持っているどのプロファイルでも。
ブラウザとプロファイルは自動で見つけ、その一覧を常に最新に保つので、手作業で設定する必要は一度もない。Safari、Chrome、Brave、Edge、Vivaldi、Arc、そして Firefox 系列に対応している。
そして毎回必ず尋ねられること自体がまた別のいら立ちになるので、ピッカーを飛ばして直前に使った行き先をそのまま開く修飾キーがある。私のリンクはたいてい連続する。仕事のものが何本か続き、そのあと個人のものが何本か続く。この迂回によって、よくある場合はただになり、選択は本当に必要なときのために取っておける。
キーボード優先。速さこそがすべてだから
リンクの振り分けが遅いルーターは、ルーターがないよりも悪い。ピッカーの表示が一拍でも遅れたり、マウスに手を伸ばさせたりするなら、私は使うのをやめ、またタブをドラッグする生活に戻るだろう。
だからピッカーはリンクが届いた瞬間に現れ、どの選択肢もキー一つ分の距離にある。この制約は、どの機能よりも設計を左右した。基準は単純だった。Burly は、それが置き換えようとしている習慣より速くなければならない。さもなければ存在に値しない。
既定でプライベート。私が出すすべてと同じように
あなたがクリックするすべてのリンクを見る道具は、信頼に足るものでなければならない。だから Burly はすべてを Mac の中に留める。アカウントもクラウドも解析もなく、URL が端末を出ることは一度もない。署名と公証を経た、ネイティブのメニューバーアプリである。
これは私が作るほかの小さな道具の背後にあるのと同じ本能だ。あなたが開くリンクは、あなたの一日について最も多くを語ってしまうデータの一つである。正しい打ち手は、そのデータを注意深く守ることではない。そもそも集めないことだ。決して集めなかったデータは、決して漏らしようのないデータである。
これほど小さな問題を解く価値がどこにあったのか
Burly を取るに足らないと切り捨てるのは簡単だ。リンクを振り分ける。売り文句はそれで全部である。
だが私は、小さくて絶え間ない摩擦こそ取り除く価値があると思うようになった。まさに絶え間ないからだ。月に一度ぶつかる大きな問題には、あなたの全注意と本物の回避策が与えられる。一日に四十回ぶつかる小さな問題は、立ち止まって直そうと思う水準にけっして達しない。ただあなたの注意力に、じわじわと轍を刻んでいく。
AI のおかげで小さなネイティブアプリを作る費用は十分に安くなり、こうした轍を埋めることが、ようやく午後一回分の価値を持つようになった。それは「何が存在するに値するか」の計算を変える。道具は、作る価値を持つために野心的である必要はない。あなたが我慢するのに飽きていた何かを取り除きさえすればいい。
私が当てつづけている検査
個人的な道具について私が本当に信じている検査は一つだけで、Burly はそれに合格した。翌日、何も考えずにそれへ手が伸び、そして置き換えられた摩擦は、ただ消えていた。
自分のために作ったのだが、私と同じように神経質に文脈を切り分けてブラウザを使っている人がほかにもいると分かった。たいていそういうものだ。十分に具体的なかゆみを掻けば、掻いていたのが自分だけではなかったと知ることになる。
すべてのリンクを、正しいブラウザのプロファイルへ。小さな約束だが、それをきちんと守ることが、この製品のすべてである。
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