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Matt Senter
Matt Senter

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公開するものにどう名前を付けるか

プロダクトに名前をつけることは、ものづくり全体のなかで最も小さな決定に思える。ただの一語だ。語なら変えられる。それでいてこれは、プロダクトが行く先々までついてくる数少ない選択の一つでもある。App Store のなかへ、URL のなかへ、そして誰かが友人に伝えようとするときのその人の口のなかへ。

小さなものをそれなりの数だけ世に出してきたので、いまでは大まかなやり方がある。ブランディングの枠組みではない。むしろ、決める前に走らせる一連のテストに近い。この先三年ものあいだ、気の利いた名前を弁護しつづけずに済むように。

名前は最初の約束だ

誰かがあなたのアプリを開く前に、名前はすでに何かを伝えてしまっている。名前は期待を設定し、プロダクトはその期待に応えるか、最初の三十秒をそれを訂正することに費やすかのどちらかになる。割に合わない取引だ。名前にできる最良のことは、脇へどいて、そのものがそのものであるに任せることである。

だから私は、名前に仕事のほんの一部を担わせようとする。売り文句のすべてではない。誰かがそれを聞き、次にそれが何をするかを見たとき、二つがぶつかり合うのではなく噛み合う程度でいい。名前とプロダクトが一致していると、プロダクトは必然のものに見える。食い違っていると、その後に続くすべて——文章も、アイコンも、第一印象も——が、その隙間を埋めるために余計に働かねばならなくなる。

実際に使っている基準

百案のブレインストーミングはしない。候補を一つ、短い実務的な問いのリストに当てて、何が生き残るかを見る。

  • 一度声に出して言ったとき、相手が正しく綴り返せるか。
  • メニューバーにも、アイコンのラベルにも、一つの文のなかにも収まるほど短いか。
  • 実際に使えるドメインとハンドルを取れるか。
  • その仕事を指しているか。少なくとも、逆の方向を指してはいないか。
  • プロダクトが少し育っても、まだ意味が通るか。

気の利いた案のほとんどは、最初の二問で死ぬ。一字ずつ綴らなければならない名前は、口にされるたびに利用者を漏らす名前だ。誰にも検索できない名前は、訪問者一人につき二度払わせる名前だ。華やかな制約ではないが、名前があなたを助けるのか、それとも永遠に静かな税を課すのかを決めるのは、この種の制約である。

名前には二つの系統がある

実際に世に出したものを眺めると、名前は二つの陣営に分かれる。自分がどちらを選んでいるか分かっているかぎり、どちらでも構わない。

第一の陣営は、仕事そのものを語のなかに畳み込む。Premail はそのままの意味で読める。メールがあなたに届く前に、そのメールに働きかける。Comoji はコロンで呼び出す emoji であり、名前がその操作を口に出せる形へ圧縮している。SeedMatrix は種子の成績データの格子であり、名前がそう言っている。非営利の BeeReady でさえ、人がすでに知っている言い回しに寄りかかっているので、何も説明しないうちから使命が読み取れる。こうした名前は、ただで少し働いてくれる。

第二の陣営は、仕事をまるで描写しない。ただ短く、頑丈で、覚えやすくありたいだけだ。Burly は、リンクを正しいブラウザのプロファイルへ振り分けることを説明しないし、その必要もない。粘りつく二音節の個性であり、気づく人のために語のまんなかに URL が隠れている。StockCar も同じ働き方をする。車のなかで聴く株式の要約——まさにそれなのだが——として読まれる前に、速くて具体的なものとして読まれる。この種の名前は初日にはほとんど意味を持たないので、プロダクトのほうがそれを教えなければならない。語が教えるに値するほど記憶に残るなら、それは公正な取引だし、意味が見つけられるのを待ってそこにあるなら、おまけまでついてくる。

気の利いた名前の罠

自分を思いとどまらせる必要がいちばん多い失敗は、自分だけが完全に分かる駄洒落だ。名づけには独特の高揚があって、多層的で機知に富んだ何かを掘り当てた瞬間、束の間、自分が天才のように思える。ほとんどの場合、その名前は隣に転がっている退屈なほうより劣っている。

利口すぎる名前の問題は、その利口さが自分の頭のなかにあって、利用者の頭のなかにはないことだ。相手はその引用に気づかない。聞き違え、綴り違え、二度と見つけられない。あなたは冗談の解説をする羽目になる。そして解説の要る名前は、すでに負けている。私は、謝りつづける利口な名前より、うまく働く平凡な名前のほうがいい。

なぜいま、これがより重要なのか

名づけを虚栄として扱うのはたやすい。とりわけ、作ることがこれほど安くなったいまは。だがまさにそれゆえに、名づけは軽くではなく重くなる。AI によって誰もが一日の午後でそれなりのアプリを生成できるなら、世界はそれなりのアプリで埋まる。良いことは前提にすぎない。見つけられ、口にでき、覚えられることは、モデルが差し出してはくれない数少ない優位の一つだ。

生成器は機能を書ける。名前の候補さえ出せる。だが、その語が自分の口のなかでどう感じられるか、自分が築いてきた残りのものと釣り合うか、一年後もそれを口にすることを誇れるか。それは分からない。その判断こそ人間の担当であり、この仕事で私が何度も立ち返る判断でもある。作ることは安く、決めることが仕事なのだ。

一度名づけ、そして本気でいる

いつ名づけるかには緊張がある。早すぎれば、プロダクトが何であるかを知る前に一つの語に惚れ込み、その名前に合わせてプロダクトのほうを曲げてしまう。遅すぎれば、決して外れない仮の名を抱えたまま世に出すことになる。私の折衷は単純だ。プロダクトが何をするのかを一文で言えるようになるまで名前を確定しない。そして言えるようになったら、名づけて終わらせようとする。

この規則は、プロダクト自体への点検も兼ねている。名づけられないなら、たいていはそれが何であるかをまだ決めていないということだ。名づけの苦しさは多くの場合、範囲がまだぼやけているとプロダクトが告げている声である。仕事がはっきりすれば、名前はたいてい楽に出てくる。ようやく、指し示せる具体的な何かがあるからだ。

そしていったん名づけたら、名前は決着済みとして扱う。名前はパーマリンクであり、ハンドルであり、誰かの推薦のなかで口にされる語である。あとで変えることはブランド刷新ではない。稼ぎはじめていた認知のかけらを、すべて捨てることだ。だから最初に一時間かけて、その後は二度と触らないほうがいい。

短い版

名前を決める前に、私はそれに四つのハードルを越えさせる。

  1. 一度言ってみる。見知らぬ人が綴り返せるか。
  2. 検索してみる。自分にたどり着くか、それとも雑音にたどり着くか。
  3. 突き合わせる。プロダクトが実際にすることと一致しているか。
  4. 持ち続ける。一年後も、声に出して言いたいと思うか。

これで素晴らしい名前が保証されるわけではない。だが悪い名前は確実に殺せる。小さなものを一人で世に出す者にとっては、悪いものを殺すことが戦いの大半だ。誠実で、口にでき、自分のものである名前は、気の利いた名前より価値がある。しかも選ぶ手間は同じだ。だから私は誠実なほうを選び、それから作る仕事に戻る。

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