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Matt Senter
Matt Senter

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AI時代のスコープクリープ

自分がやるべき最も重要なこと、つまりプロダクトをよくすることを避けるための、新しい手口を手に入れた。

といっても、リリースにこぎ着け、顧客を見つけ、着想を証明するという意味でよくするのではない。千通りの些細なやり方でよくするのだ。余白を詰める。空状態の文言を書き直す。キーボードショートカットを足す。アニメーションを調整する。AI のコーディングエージェントにもう一つ趣味のよい改善を頼み、一分後にそれが現れるのを眺め、すぐさま次の粗を見つける。

どの微調整も速い。どの微調整も生産的に感じられる。そしてそれらが合わさると、驚くほど長いあいだ私をクリティカルパスの外に留めておける。

かつてのスコープクリープには摩擦があった

スコープクリープは新しい現象ではない。プロダクトは昔から要件を溜め込んできた。ただ、以前の版は近づいてくるのが見えやすかった。新しい機能とは、会議であり、見積もりであり、チケットであり、担当の開発者であり、テストの周回であり、締め切りについてのまた一つの気まずい会話だった。コストが自分から名乗りを上げてくれた。

AI はその摩擦の多くを取り除いた。いまや新しい機能は、プロンプトに六語ほど打ち込むところから始まりうる。見積もりもなければ、「これは本当に要るのか」と尋ねる相手も部屋にいないかもしれない。同僚に着想を説明し終えていたはずの時間には、もう最初の版が動いている。

それは途方もない強みだ。同時に罠でもある。着手のコストがゼロに感じられるとき、いったん立ち止まって正当化するという古い本能は、そもそも働かない。

危ないのは「ついでだから」という一言だ

この型は、あからさまに悪い思いつきから始まることはめったにない。もっともらしい何かから始まる。このフォームを直すついでに、バリデーションもよくしておこう。バリデーションのコードにいるついでに、エラーメッセージも整えよう。エラーにはアイコンがあったほうがいい。アイコンを置くと、デザインシステムの不整合が露わになる。気づけば、誰も不満を言ったことのないコンポーネントを組み直している。

一つ一つの判断は、単独で見れば筋が通っている。だからこの型は抗いがたい。名指しできる無謀な選択は一つもなく、あるのは有用な小さな選択の連なりだけで、それが静かにプロジェクトを、行く必要のなかった場所へ運んでいく。

同じことはプロダクトの外でも起きる。ロゴを磨き上げるのに午後をまるごと使う、レポートを自動化する、CRM を整理し直す、ランディングページを二十通り生成する。どれも簡単に起こる。その仕事は良いものかもしれないし、いずれ必要になるかもしれない。だが、事業が今日必要としているのが顧客との会話なら、そのどれもが本来の仕事ではない。

実行が安くなっても、注意は安くならない

AI は微調整のコストを下げた。だが、どの微調整をするかを選び、それを確認し、プロダクトの残りに馴染ませ、その後も増えた複雑さを背負い続けるコストは下げていない。そして何より、私の注意を無限にはしなかった。

私が見落としがちなのは、そのコストだ。二分の変更が、頭の中に二十分の枝道を開くことがある。それは私が見ているものを変え、脳が解こうとしている問題を変える。それを五十回やれば、たとえ一行残らずエージェントが書いたとしても、一日は消える。

速さは、驚くほど心地よい形で事態を悪くする。遅い仕事には自然な区切りができる。速い仕事は勢いを生む。依頼が片端から片づいていく即時の報酬は、次の依頼をほとんどただのように感じさせる。引けば必ず洗練された UI を吐き出すスロットマシンのレバーのように。私は詰まってもいないし、苛立ってもいない。楽しんでいる。だからこそ、進路を外れていることに気づきにくい。

楽しい仕事と大事な仕事は、同じ一覧ではない

私は作る部分が大好きだ。作る人の多くはそうだろうと思う。具体的で、反応があり、満足がある。依頼をすれば、目の前でものが変わる。クリティカルパスのほうは、たいていずっと楽しくない。このプロダクトが何であるかを決め、完成に見える前に世に出し、誰かに払ってくれと頼み、何が駄目かを聞かされ、何をやらないかを選ぶ。

AI は、この二種類の仕事のあいだの感情的な落差を広げる。楽しいほうの仕事をいっそう速く、いっそう報われるものにする。だが気まずい営業の会話を気まずくなくしてはくれないし、戦略上の判断の不確かさも減らしてはくれない。

だから集中を保つには、いまやバックログ以上のものが要る。次にこれをやりたいのはなぜか、そこに正直であることが要る。それは最も重要な仕事なのか、それとも目に見える進捗をいちばん早く得られる場所なのか。

始める前に「完了」の定義が要る

私が見つけた最も有用な守りは、開発が面白くなる前にゴールラインを引いておくことだ。この版を出すには、何が真であればよいのか。私はどの問いに答えようとしているのか。どこは粗いままでよいと明示的に認めるのか。

答えは短くしておく。目標が「見知らぬ人がアプリをダウンロードして主要なタスクを完了できること」なら、より良い設定画面はクリティカルパス上にない。目標が「誰かが金を払うかどうかを確かめること」なら、さらに一週間の磨き込みは、たぶん尋ねずに済ませるための洗練された手口だ。

新しい思いつきは、これまでどおり書き留める。ただ、自分で自分を「緊急」に任命することはできない。あとで見る一覧に置き、定義したゴールラインへ戻る。節目が本当に達成されたなら、意図した磨き込みの回を選び、それを何か別のものだと偽らずに楽しめばいい。

抑制はいまや技芸の一部だ

誰もが作れるようになったとき センスこそがボトルネックになる、と私は以前書いた。抑制は、そのセンスの一つの現れである。どの版がいちばん見栄えするかを知っていることだけではない。この問題にはいま、もう一つの版など要らないと知っていることだ。

ほとんど何でも素早く作れるからといって、優先順位づけから解放されるわけではない。むしろ優先順位づけの重みが増す。外的な制約を取り除く道具はどれも、内的な制約のほうに重さを移す。方向を保ち、良い思いつきを手つかずのまま残し、仕事がその目的を果たしたら止める、という規律である。

AI は、着想と結果のあいだの距離を縮めるはずのものだ。満足のいく微調整のすべてを途中に割り込ませてしまえば、それは逆に働く。プロダクトはより磨かれ、ローンチは一歩も近づかない。

もっと頻繁に問おうとしている問い

エージェントにもう一つ変更を頼む前に、私は立ち止まって、もっと心躍らない問いを立てようとしている。今日、このプロダクトなり事業なりを前に進めるのは何か。

答えが本当にその微調整であることもある。細部は大事だし、雑な仕事を出したくもない。だが多くの場合、答えはビルドを公開すること、メールを送ること、顧客に電話すること、提案を書くこと、あるいはずっと周りを回っていた決断を下すことだ。

AI の時代は、作る者に並外れた梃子を与える。それをうまく使うとは、いつアクセルを踏むかを知ることだ。そして、ハンドルから手を離さないことでもある。

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