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Ashish
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I said no and Apple said yes

「ノー」が効かない世界で、自分の目を自分で選ぶということ

Hacker Newsで「I said no and Apple said yes」という記事が600ポイント近く集まっていたのを、通勤電車のなかで見かけた。朝の中央線、吊り革につかまりながらスマホをスクロールして、David Bushellさんの言葉に胸が締めつけられた。

Apple Intelligenceを明示的にオフにしていたのに、アップデートで勝手にオンになっていた。オプトアウトが機能しない。ユーザーの意思決定を尊重しない。コメント欄には同じ怒りが溢れていた。

「自分のデバイスで、自分のデータで、自分の体験をコントロールしたい」

ただそれだけのことが、なぜこんなに難しいのか。

僕は小学3年生のとき、学校の視力検査で「右目が弱いですね」と言われた。弱視(lazy eye)。医師からは「アイパッチを毎日2時間貼りなさい」と言われ、キャラクターもののシールを貼ったパッチを、恥ずかしさに耐えながら肌に貼り付けた。右目だけが暗くなり、世界が平面的になる。友達と鬼ごっこをしても距離感が掴めず、いつも「鬼」だった。体育のドッジボールでは、ボールがどこから飛んでくるかわからない。怖くて、いつも後ろに下がっていた。

中学生になってパッチを外したとき、医師は「もう治療の時期は過ぎた」と言った。脳の可塑性(neuroplasticity)が下がるから、と。諦めろ、という言葉の裏側にあるのは「これ以上医療でできることはない」という現実だった。あの白い診察室の蛍光灯の音、カルテを閉じる音、母親の小さなため息。全部、今でも覚えている。

以来、右目は「使われない目」として生きてきた。立体視はできない。駐車場で車庫入れするたびに、距離を誤ってハンドルを切り直す。バックモニターのガイドラインを見ながら、「もっと右……いや左」と独り言を言う。映画館で3Dメガネをかけても、飛び出してくるのは左目だけの世界だ。『アバター』を見に行ったとき、隣の席の彼女が「すごーい」と言う横で、僕はただの平らなスクリーンを見ていた。

「治療」という言葉から逃げていた。医療機関に通う気力も、お金も、何より「また失敗するかもしれない」という恐怖があった。眼科の待合室の匂い、視力表の「C」の向きを答える緊張、検査機器に顎を乗せる冷たさ。それら全部が、トラウマみたいに染みついていた。

そんなとき、Meta Questを買った。最初はゲーム目的だった。『Beat Saber』で汗をかき、『Supernatural』で体を動かす。VRって、左右の目に別々の映像を出せるんだな——そんなことをふと思い立って検索したのが、Amblyotubeだった。

Seven Sportsが開発した、弱視・視覚協調トレーニングのためのレクリエーション・教育ソフトウェア。YouTubeの動画をそのまま使って、左右の目に違う視覚体験を提示できるという。Meta Quest 2、3、Pro、3Sに対応。90Hz、120Hzのリフレッシュレート。日本語UIもある。価格は4.99ドルの買い切りか、サブスクリプション。

「レクリエーション・教育ソフトウェア」という言葉が、妙に心に引っかかった。治療じゃない。処方箋もいらない。自分でダウンロードして、自分で選んで、自分で続けられる。医師の許可も、保険証も、予約もいらない。ただ、ヘッドセットを被って、スタートボタンを押すだけ。

ダウンロードして、ヘッドセットを被った。メニューで「右目が弱視」と設定する——この選択が、どれだけ重要か、後でわかる。ハンドトラッキングでメニューを操作する。コントローラーを握らなくていい。声で「次へ」と言うだけでも進める。オートIPDで瞳孔間距離が自動調整される。パススルー機能で、ヘッドセットを被ったまま部屋の様子が確認できる。コーヒーをこぼさないか心配しなくていい。

最初に選んだのは、大好きな鉄道動画。山手線の車窓から流れる街並み、踏切の音、アナウンスの声。ただ見るだけじゃなく、右目(弱視の目)だけにシャープニングがかかり、人物検出AIが人の輪郭を赤いアウトラインで強調してくれる。左目(優位眼)にはぼかしとコントロール低下がかかる。マゼンタ色の丸いキューが右目だけに動き、左目にはグレーのキュー。

「Dominant Eye Shader」のスライダーを動かす。ぼかしを強くすると、左目が「休んで」いる感じ。でも完全に遮断しない。両目が開いたまま、右目が「主役」になる。これならパッチみたいに世界が真っ暗にならない。Opacity 0.6、Blur 8px、Contrast 0.7。この数字が、今の僕の「最適解」だ。

「Lazy Eye Sharpener」で人物がくっきり見える。電車に乗り込むサラリーマンのスーツのシワまで、右目だけで追える。「Flicker Stimulation」のせいか、無意識に右目が動画の中の動きを追いかけていた。5Hz、10Hz、15Hzと変えてみて、8Hzが一番しっくりきた。脈打つように、画面が明滅する。

「Visual Accents」の「呼吸」リズム(Hz)をオンにすると、黄緑色のハイライトがゆっくり脈打つように強弱する。目が疲れない。ずっと見ていられる。Edge Glowで画面の端がほのかに光るから、周辺視野まで使われている感じがする。Color Filterでマゼンタ/グリーンの組み合わせにすると、赤緑の補色効果で立体感が増す気がする。

30分経ったころ、ヘッドセットを外した。リビングのソファ、テーブルのコースター、遠くの窓枠——いつもより「奥行き」を感じた気がした。気のせいかもしれない。でも、初めて「自分の目で見ようとした」感覚があった。能動的に、意図的に、右目を開いて世界を受け取ろうとした。

それからほぼ毎日、30〜40分。YouTubeの「猫動画」「鉄道」「料理」「Vlog」——見たいものを自分で選ぶ。その日の気分で、右目への負荷(opacity、blur、contrast)を自分で決める。勝手に設定が変わることはない。アップデートで機能が勝手に増えることもない。オフラインでも動く。データはローカルにだけ残る。

「今日は調子悪いから、ぼかし弱めにしよう」
「集中したいから、アウトラインを濃くしよう」

その小さな決定の積み重ねが、僕にとっての「治療」だった。医師に言われてやるんじゃない。Appleに決められてやるんじゃない。僕が「やりたい」と思って、納得して、続けられる。

ある雨の夜、残業でヘトヘトになって帰宅した。ヘッドセットを被る気力なんて、ないと思っていた。でも、手が勝手にQuestを手に取っていた。猫動画を選んだ。Opacity 0.4、Blur 4px。軽めの設定で、ただ猫が箱に入ろうとして失敗するのを眺めていた。右目が、左目が、自然に協調し始めるのを感じた。涙が出そうになった。理由はわからない。ただ、自分の体の一部が、自分の意思で動いた喜びだったのかもしれない。

半年経った今、駐車場での車庫入れが少し楽になった。映画館の3Dで、ほんの少しだけ飛び出しを感じられる瞬間がある。劇的な変化じゃない。でも「諦めろ」と言われた目が、まだ変われるかもしれない——その可能性を、自分で握りしめている実感がある。

HNのスレッドに戻ると、あるコメントが目に留まった。

"The only sustainable software is software that respects the user's 'no'."

ユーザーの「ノー」を尊重するソフトウェアだけが、持続可能だ。

Amblyotubeは、僕の「ノー」も「イエス」も、全部僕に委ねてくれる。どの動画を見るか、どれくらいの強度でやるか、いつやめるか。すべて僕の手の中にある。テレメトリも、強制アップデートも、ダークパターンもない。Seven Sportsの開発者たちが、当事者の声を聞いて作ったんだろうな、と思う。Voice Commandsの実装とか、Hand Trackingの自然さとか、細部にその気配りがある。

弱視の当事者として、そして「自分の体験をコントロールしたい」一人のユーザーとして、それがどれだけ貴重か、身に染みてわかる。

もしあなたも、自分のペースで、自分の好きなコンテンツで、両眼視機能を鍛えてみたいと思ったら——医療機器じゃない、レクリエーション・教育ソフトウェアとして、一度試してみてほしい。

Amblyotube(Meta Quest): https://www.meta.com/en-gb/experiences/amblyotube/25906906972338493/

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